松尾芭蕉作『野ざらし紀行』の成立 三重大学出版会   

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  松尾芭蕉作『野ざらし紀行』の成立

濱森太郎著

B5、660頁、定価 3,780円 ISBN978-4-944068-80-7


    
 

     


 @松尾芭蕉作『野ざらし紀行画巻』の文字ならびに絵を克明
    に分析することで、この作品が「一念一動(心象)」の記
    録を目指す新規の文学作品である事を突き止めている。
 A芭蕉文字データベースを起動して仮名文字の揺らぎ(字体
    の変動)を抽出し、使用率、合理化率、装飾率の指標を用
    いて、各写本の系統と序列とを識別している。 
  B仮名文字の「揺らぎ」を手掛かりとして、目立った文字で
    文脈の要所をマークアップする文字型修辞法を洗い出し、
    そのマークを標識として文脈の要所を読み進むフィードバ
    ック型の読書が実行されている。
 C本書を読む者には文字と言葉の奥深い不思議を実感させて
    くれる。           
  
 序 章  本書の目的と意図
 
  第1章 『野ざらし紀行』表現論 
        
  第2章 『野ざらし紀行』用字論
 
  第3章 『野ざらし紀行』系統論
 
  第4章  誤解された『野ざらし紀行』
 
  第5章  終りに 
 
  索 引
 
  付 表
 
  付録CD 『野ざらし紀行』文字データベース
      文字切り取りシステム
      データベース簡易入力システム
     『野ざらし紀行』参考文献目録 その他
 

   

書評

     活字の普及で失われてしまった筆文字の特徴は、文字
    の「揺らぎ]にある。この揺らぎに注目すると、たとえば
    仮名文字は、「基本仮字」と「異体仮名」とに区分される。
    「基本仮字」は時宜や位置や執筆時期に関わりなく常時に
    用いられる仮名文字であり、「異体仮名」は行頭・行末
    表示、隣接回避、反復回避、品詞表示の役割を担って随
    時に用いられる仮名である。
    当然ながら「基本仮字」は変化に乏しく、「異体仮名」
    には筆者の意志が反映する。従来、行間を読むことを重
    視した文学研究においても、この種の作者の意志を読み
    取る試みは欠けていた。
   この「文字の揺らぎ」に現れた筆者の意志を読み取る
    手法が開発されれば、文学研究に新しいパラダイムを切
    り開くことができる。具体的には、松尾芭蕉の文字デー
    タベースを作成し、彼が書いた文字の「揺らぎ」をスク
    リーニングし、作品全体の文字遣いに照合して分析する
    ことでそれが可能になる。未知の領域に付き物の試行錯
    誤は避けがたいが、その試行錯誤を通して抽出した分析
    指標は「使用率」「合理化率」「装飾率」の三つである。
   複数の仮名文字を使用することが常態化している助詞
   「に」では、各文字の使用率は「尓81%、二10%、仁5%、
  耳3%、丹1%」のように表示される。この「尓81%」が
   「基本仮名」、「二10%、仁5%、耳3%、丹2%」が「異
    体仮名」に分類される。使用率は仮名文字を「基本仮字」
    「異体仮名」を区分するための概念である。また「合理化
  率」は一写本内のすべての仮名文字に占める「基本仮字」
    の比率で、写本の推敲が進むにつれて「基本仮字」が多用
    される点を利用して推敲の進展を計る尺度とする概念で
    ある。さらに「装飾率」は、「異体仮名」を用いて装飾表
    示された単語を品詞別に集合し、品詞毎に装飾表示され
  る単語の比率を表示する指標である。助詞・助動詞(い
  わゆる「辞」)と名詞・動詞・形容詞・副詞(その他、い
    わゆる「詞」)に区分して表示すると、推敲の進展につれ
    て装飾位置がいわゆる「辞」から「詞」に遷移する様子を
    観察することが出来る。
   筆者はこの精細極まる文字分析と絵画分析とを併用し
    て松尾芭蕉の処女作に潜入し、多くの花実を取りだすこ
    とに成功した。松尾芭蕉の『野ざらし紀行』は、彼自身
    が言う如く正確な意味で「一念一動」の記録だった。実
    際に「一念一動」を記録するに当たって、松尾芭蕉は西鶴
    のような語り言葉よりは心内語に依拠した。したがって、
   『野ざらし紀行』には、時制や時相の齟齬、因果関係や事
    実経過のような説明の排除が意図的に行われている。そ
    れが意図的なものであることを証明することが可能にな
    ったのである。
   後に国民文学と称される『奥の細道』を書くことで不
    朽の文名を得た松尾芭蕉が、その最初の一歩に当たる『
    野ざらし紀行』で、すでに「吉野巡礼」という聖者になる
    修行路を歩き、「入山・出山」の修行行為を通して「浮
    世をすすぐ」ことを目指す真摯な芸術家であったことも
    明瞭になった。この「吉野巡礼」に続いて、『笈の小文』
    における「高野巡礼」、『奥の細道』における「羽黒巡礼」
    が続くのである。その修行路を歩き続ける実績の上に、『
    奥の細道』の盛大なる接待行動があることも見逃せない
    事実である。まことに松尾芭蕉の創作活動は巡礼行為に
    貫かれていると言って過言ではない。こうして作者の意
    志をほぼ正確に汲み取った文脈の解釈が可能になること
    を思えば、多大の労力を要する文字データベース作りの
    必要も納得されるだろう。
                   <By 國場弥生> 
     

 
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