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阿閉義一前編集長への追悼文

                                     濱 森太郎
阿閉義一様

   阿閉さんが居なくなって2年近くになりました。今は年度末で、お まけに寒波の襲来という悪天候です。暖房は能力不足で、マフラーを したままコンピュータに向かっています。人気のない年度末の研究室 で阿閉さんのことを思い出すと、しんみりした気分になりますが、そ のしんみりした気分にも、すでに随分馴れています。
 1昨年の今頃、阿閉さんがやがて居なくなることは分かっていまし たし、気持ちの準備はほぼ出来ていました。しかし、実際のご他界 は、最悪のタイミングでした。2005年の夏に出版会創立者の安達六郎 先生が脳梗塞で倒れて半身不随になり、その後、2005年冬には阿閉さ んがガンのためにベッドに仰臥する人となりました。阿閉さんに替 わって編集長を務めた私は、出版会の経営を維持する必要上、聞き合 わせや相談なしに処理することが出来ない案件も多く、出版会の大株 主である阿閉さんとの相談事はかえって多くなりました。そのため に、2006年春先には、私も毎週、阿閉さんの見舞いを兼ねて病院通い をしました。さすがに病痛の「愚痴」を聞く事はなく、よく私の相談 事には付き合ってくれました。そうしながら一方で私は、意識を喪失 する時には阿閉さんの手を取って死去を見送ろうと覚悟を決めていま した。
 そういう積もりで病状を見つめていた私に、「結婚したよ。」とい う挨拶は驚きでした。真剣に「何!結婚!」と聞き返しましたから。 あの時の結婚の言葉を思い出すと、今でも冬の天上から薄日が射すよ うな気分になりますが、思えば阿閉さんは気の合う仲間を明るくする 事が好きでした。ガンの闘病生活の末期になってもなお、私はこうし て阿閉さん助けて貰っておりました。
 が、それにしても「見事な結婚」というものがもしこの世にあると したら、阿閉さんの結婚はそれに当たると思います。全力で藻掻い て、次の瞬間ふっと脱力してずぶずぶと沈み込むように死去するはず の死途の道行きを「結婚」に結びつけてしまったのですから、これは 快挙という他はないでしょう。多分、阿閉さんの方からプロポーズし たのだと思いますが、それを受け止めて結婚に踏み切った女性も、阿 閉さん同様に並はずれたところがあったのでしょう。我々が暮らす近 代社会の始原に当たる17世紀に、大阪で書かれた井原西鶴作『好色五 人女』は、家族の中核を成す夫婦形成の物語で、恋愛の価値を大胆に 肯定して日本人の記念碑となる作品ですが、その中の女主人公たちは 「恋慕」が魂となる経験をした人々だと書かれています。また井原西 鶴は、「恋慕」する魂が相手を動かす力を発揮する様をこの世界の 「実」と呼びました。夫婦がしっかりと「実」を持って接合されるた めには「恋慕」が魂となって、女性を動かすことが欠かせません。そ れが病中の阿閉さんに出来た事を直感したので、私は瞬間的に「お見 事!」と思いました。少なくとも私たちの世の中に「美談」が一つ増 えたことはたしかですから。
 阿閉さんは、大学出版会のことを随分誇りにしていたとお母上から 聞きました。「旧帝大以外で初めて出版会を作った。」と機嫌が良い ときにはよくお母上に繰り返したのだそうです。またいよいよ末期に は「出版会には借金がある。自分が支払わなければならないから、 1000万円程、お金が必要かも知れない。」と呟いたと、ご遺族から深 刻な顔でご相談を受けました。確かに阿閉さんも私も相当の覚悟で三 重大学出版会を旗揚げしましたが、まさか死ぬ間際まで借金の事を呟 くとは思いも寄りませんでした。
 阿閉さんが他界した後、数日して私もまた心臓発作で手術室に運び 込まれました。集中治療室ではパニック障害を起こし、窒息しながら どんどん日の射さない宇宙の深みに落下して行くという厳しい妄想の 世界を漂いました。その宇宙空間で、もし阿閉さんに出会っていたら 私も今頃は「あの世の住人」となって、阿閉さんの恋慕の顛末を羨ん でみたり、二人で懲りずにあの世に出版会を作る相談をしていた事で しょう。その間に「出版会が潰れる!」と心配して下さった方々も居 て、有り難い事にはちがいありませんが、パニック症候群ではお礼の 言いようもありませんでした。
 こうして、阿閉さんのご他界は、実際、最悪のタイミングになって しまいましたが、それでも私は、宇宙を浮遊する間に阿閉さんには出 会わず、駒田先生以下、執刀医グループに助けられてこの世界に帰還 しました。そしてそれから2年近くになります。心臓をかばいながら ですから大したことにはなりませんが、曲がりなりにも出版会は存続 しております。図書の品質を高めるために著者に嫌われないように原 稿に手を入れ、良書を取り次ぎに持参して嫌みにならないように理解 を求め、書店の店長さんにチラシを送って如才なく図書を売り込む毎 日です。阿閉さん、分かるかな。ほんとにあの時は最悪のタイミング だったということが。お陰で私は2年経った今も、阿閉さんとの相談 が欠かせないまま暮らしていますし、幽明の境を隔てる事も大したこ とではないなと思うようになりました。本当に死んでしまった阿閉さ んなら分かると思いますが、幽明の境なんて実は簡単に乗り越えられ るね。
 いよいよ結びになりました。今日は旧暦の正月が過ぎて12日目で す。間もなく校内には春の陽炎が立つでしょう。かつて芥川龍之介が 早くに他界した自分の家族に贈った手向けの一句を書き抜いて、私の 所在の目印としました。陽炎が立ち初めましたら、幽界からこの句を 見付けて、詠んで下さい。
陽炎や塚より外に住むばかり(龍之介 「点鬼簿」)
                        2008/2/16
          三重大学人文学部
                     濱森太郎

 
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