第5回受賞作祝辞 トップページに戻る
 


    受賞作に対する祝辞


石橋悠人氏「経度とイギリス帝国」に対する祝辞
      森村敏己(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 科学技術発達の歴史は、当然ながら科学史の文脈の中で「進歩の歴史」として描かれることが多い。だが、知の積み重ねが次の新しい段階に進むための前提になることは確かだとしても、科学は閉ざされた空間の中で知の論理だけに従っているわけではない。まして、経度測定法のように、実際に大海原に乗り出し、観察と実験を重ねながら改良を重ねていく場合はなおさらだ。科学者たちの学問的情熱だけではどうにもならない。機器の開発を後押ししたり、航海実験に必要な莫大な資金を提供してくれるスポンサーがいないことには話にならないのである。もちろん、科学の歴史をすべて社会史や政治史に還元してしまうとかえって見えなくなるものもあるだろう。しかし、正確な経度測定技術のおかげでヨーロッパ諸国、とりわけイギリスが他の地域に先駆けて世界の海を制覇したのだとしたら、政治の問題を考えないわけにはいくまい。19世紀のヨーロッパによる植民地帝国建設はこうした技術進歩に支えられていたのだから。
 石橋悠人君は経度委員会という組織を分析の中心に据えたことで、この科学と政治の関わりを解明することに成功した。名前は知られているが、誰もきちんと調べていない組織や制度は歴史研究にはよくあるものだ。経度委員会もそのひとつといっていいだろう。そこに目をつけたということ自体、大した慧眼だ。実際、ケンブリッジに残された史料を丹念に調査することで石橋君は興味深いテーマをいくつも引き出している。経度委員会が人的にも財政的にも海軍と密接な関係にあったことを論証し、改良された経度測定法が海軍で実用化されていくプロセスを丹念に再現してくれたおかげで、われわれは大英帝国と科学技術の関連をより具体的に思い描くことができる。有名なキャプテン・クックの航海にどんな意味があったのかも知ることができる。ロイヤル・ソサエティ、経度委員会、天文学協会を舞台に演じられた科学者たちの主導権争いは、科学がときに政治を必要とし、ときに政治に利用される様をまざまざと示してくれる。
 修士論文が書物として出版される機会を与えられるなど、そうあることではない。院生の研究意欲を高めるこうした事業を継続している三重大学出版会に敬意を表するのはもちろんだが、石橋君の研究がこの賞にふさわしい出来であることは是非とも言っておかねばならない。今回の受賞は石橋君が研究者への道を歩むうえで、このうえないスタートを切ったことの証となるだろう。彼に続く後輩たちがこれでいっそう頑張るようになれば、石橋君の功績はますます大きなものになるというものだ。


寺尾智史氏「言語保全を過疎とたたかう力に」に対する祝辞
    石川達夫(神戸大学大学院国際文化学研究科教授)

 この論文は、日本広しといえども恐らく寺尾智史君一人にしか書けなかったものだ。それどころか、世界中で寺尾君以外に一体誰がこの論文を書けただろうと思う。ポルトガルのミランダ語という、恐らく一万人に一人もその名を知らないような少数言語についてのこの研究は、それほど「マイナー」でユニークなものだ。しかし、ただそれだけのことなら、学問研究としては大して偉くもない。この研究の偉いところは、その「マイナー」でユニークなものが、少数言語の消滅という今日の世界が直面している深刻な問題、人間や社会にとって言葉とは何かという普遍的な問題、言語が民族意識とどのような関係にあるのかという大きな問題などと組み合わされ、そのような「メジャー」な問題をほとんど寺尾君の独壇場である「マイナー」なミランダ語研究から照射して、ほかの誰にも真似出来ないような独創的な論文に仕立てているところである。
 セルバンテスの『ドン・キホーテ』で「田舎訛り」の言葉とされ、1998年にポルトガル語作家として初めてノーベル文学賞を受賞したサラマーゴの『ポルトガルへの旅』で「ミランダ方言」とされていたような「マイナー」な言葉が――しかもこの言葉の話されている地方の過疎化や少子化によってその将来が危ぶまれるような言葉が――中世以来「一国家一言語」とされてきたポルトガルにおいて、20世紀も末になってから一体どうして国会で正式に「言語」として認知されたのだろうか? そこにはどのような事情があり、どのような意味があるのだろうか? そのような謎を、寺尾君の論文は言語研究や歴史研究などを通して明らかにし、更には言語と民族意識がどのような関係にあるのか、言語の保全はナショナリズムに陥ることなく可能なのかといった、よりスリリングな問題にも果敢に挑戦する。
 このような論文を書けたのは、寺尾君が大学卒業後、社会人になってポルトガルなどに長年住み、フィールドワークができたおかげでもあり、遅ればせの大学院入学と研究者としての出発を、寺尾君はハンディキャップにしないで、むしろ自分のメリットとして生かすことができた。ひとたび大学院に入学するや、今まで抑えられていた学問への情熱が一気に噴き出したかのように旺盛に様々な分野の授業に顔を出し、国際性・学際性を重んじる私たちの大学院においてみるみる力をつけていった。並外れた語学の才を生かしながら、ポルトガルの「僻地」に住むミランダの人々と仲良くなって、ミランダ出身の映画監督の短編映画にまで主演めいた役でちゃっかり出てしまうなど、学問研究者としては型破りなくらいのタフな男である。今後も寺尾君のユニークな研究活動の成果が期待される。

 
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